Bookレビュー2012-vol.15 安冨歩 『原発危機と東大話法』

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

ある事実を、自分の都合の良いように言い換え、都合の悪いことは相手を攻撃することで防御する。
そういった会話の技法を「東大話法」として批判した本。
原発問題と、東大話法が深い関係にあるという主張はもっともだと思う。

ただ、こんなことを言ってしまうと、何も主張できなくなってしまうし、本書だって東大話法で構成されていると指摘することは容易だ。

例えば、香山リカ氏や、池田信夫氏についての考察に多くのページを割いているのは、

「<規則8> 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する」

に当てはまるとも言えるだろう。また、

「<規則10> スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる」

という面もあるかもしれない。
こういった批判に備えて、この考察の目的は個人攻撃ではなく、東大話法の性質を明らかにするためだ、といった主旨を書いているが、これも

「<規則12> 自分の議論を公平だと無根拠に断言する」

といえなくもない。
 


さらに、第4章で、いきなり夏目漱石の話になって、急に原発の話に戻るのも、

「<規則16> わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する」

とか、

「<規則17> ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる」

あるいは、

「<規則18> ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす」

に当てはまると言えるのではないか。
 
結局のところ、コミュニケーションの際にこういった方法は不可欠で、使うなというのはムリは話だ。

むしろ、聞き手や読者への注意喚起という視点で書かれていたほうが、有益な書籍として、より価値が高まったのではないかと思う。