「ドラゴンクエストの作戦」から考える電力政策

ドラゴンクエスト(以下、DQ)というゲームがある。
このゲームにおいて、主人公はリーダーとして作戦を決定し、仲間はそれに従って行動する。

この「作戦」だが、非常に良く出来ている。
状況に応じてとるべき行動を的確に表現しているし、今後の日本がこの中のどの作戦をとるかで、未来が変わっていくと思われる。

そこで、DQの作戦になぞらえて、考察してみたい。

参考資料:「ドラクエの作戦って何がありましたっけ?」http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210781777


【みんながんばれ】

DQでは、最も攻守のバランスの取れた作戦として設定されている。
しかし、現実においては、リーダー失格の精神論である。
頑張れって言ったって、どこに向かって、どのように頑張ればいいのか。
震災後は、「頑張れニッポン」というメッセージが大きく広まった。
それが人々に勇気を与えたことは間違いないし、短期的には有効である。
一方で、いつまでも「頑張れ」では、単なる無策でしかない。
いまだに「頑張れニッポン」と言ってる人は、何も考えていない人と捉えて間違いないだろう。


ガンガンいこうぜ

DQでは、持てるだけの力を最大限に発揮する作戦として設定されている。
その一方で、守りにはあまり重点を置かない作戦である。
これは、原発推進派の考えに近い。
震災で原発のリスクに疑問が投げかけられたものの、ガンガン発電することによって、そのリスク以上の効用をもたらすという考え方である。
(ただし、原発推進派には、火力発電その他の発電方法のリスクに触れている人も少なくない)
実際のところ、これまでの日本の電力政策はまさにこの「ガンガンいこうぜ」だったわけで、この作戦を変更すれば、攻撃力(生産力、経済力、国際競争力等)がこれまでより低下することは免れない。
ただし「これまでの作戦=原発政策が間違っていた」という立場に立てば、それは低下ではない。
むしろバブル経済のように崩壊すべきものといえるだろう。


【いのちをだいじに】

DQでは、防御や回復に重点を置いた作戦である。
原発の事故の後、放射性物質について、この「命を大事に」という意見は根強い。
その一方で、不安を煽るような非科学的な意見を言ったり、またそれに賛同したりする人がいるのは問題である。
(今日も、『クロワッサン』という雑誌の表紙に書かれた「放射線によって傷ついた遺伝子は遺伝によって子孫に伝えられていきます」という文章が、ネット上で叩かれていた)
なんにせよ、忘れてはならないのは、防御し続けていても敵は倒せないし、何も状況は変わらないことだ。
冷静に知的に、攻勢に出るタイミングを見計らう必要があるだろう。
リスクをとらず、単に命を大事にしているだけでは、何も生み出さない。


【じゅもんせつやく】

DQでは、限られたマジックポイント(呪文=魔法を使うために必要なポイント)を節約するための作戦である。
まさに、節電モードだ。
節約すると、当然、より弱い攻撃方法で戦うことになる。
そのため、敵を倒すのに時間がかかるので、敵から攻撃を受けることも増える。
つまり、節約には痛みを伴う。
例えば、熱中症で死んだり、経済状況が悪化したりする。
その痛みを回復させるために、別の呪文(例えばバラマキ政策)を使ったりすると本末転倒(例えば財政破綻)なのだが、このあたりの認識が十分にされていないのではないかと思う。


【じゅもんつかうな】

DQでは、呪文を使わず肉弾戦をするときの作戦である。
これは、反原発派の考えに近い。
原発派が提唱している、風力発電太陽光発電はまさに肉弾戦である。
確かに、パンチやキックの積み重ねでも、それなりにやれば大きな力になり得る。
しかし問題なのは、今、対峙している敵が、肉弾戦で倒せるような敵なのかどうかである。
今の日本に立ちふさがっている敵というのは「日本経済の維持(せめて緩やかな衰退)」あるいは「国際競争」という強敵である。
肉弾戦で戦うのは、正々堂々として美しいかもしれないが、単なる自己満足ではないかという疑問は拭いきれない。
この戦いに敗れることのリスクを考慮に入れた上での判断が必要だろう。