囚人のジレンマ、電力のジレンマ

共犯者であるAさんとBさんが、別々の部屋に入れられている。
警察は、2人に条件を提示した。

パターン1.2人ともが真実を述べれば、懲役10年になる。
パターン2.Aさんだけが真実を述べれば、Aさんが懲役2年、Bさんは懲役15年になる。
パターン3.逆にBさんだけが真実を述べれば、Bさんは懲役2年、Aさんは懲役15年になる。
パターン4.2人とも黙秘すれば、2人とも懲役5年になる。

この場合、「1.」は2人とも懲役10年、「3.」は2人とも懲役5年なのだから、2つを比較すれば「3.」を選択したほうが良いのは明らかだ。

しかし、2人は別々の部屋に入れられているので、もう1人の行動は確認できない。
「3.」の状態を得るために自分が黙秘をしても、もう1人が真実を述べれば、自分の懲役は15年になってしまう。
逆に、自分が真実を述べれば最悪でも懲役10年、もし相手が黙秘すれば懲役2年で済む。

このため、AさんもBさんも真実を述べるほうを選択し、結果として「1.」の状態になり、2人とも懲役10年になる。
しかし、もし2人とも黙秘すれば、2人とも懲役5年で済んだはずだ。
つまり、2人はより望ましい選択をみすみす逃したことになる。
これが、「囚人のジレンマ」だ。



電力問題も、これに似た問題がある。
節電についての選択を迫られたとき、下記4つのケースを考慮することになる。

パターン1.私が節電して、みんなも節電すれば、電力不足は起こらない。
パターン2.私が節電しても、みんなが節電しなければ、電力不足は起こる。
パターン3.私が節電しなくても、みんなが節電すれば、電力不足は起こらない。
パターン4.私が節電しなくて、みんなも節電しなければ、電力不足が起こる。

「全体」として最適なのは「1.」なのだけれど、個別=「私」だけで考えれば、どうせ電力不足が起こるならば、節電せずに使いたいだけ使ったほうが良いことになる。
「全体」はそういう「私」たちの集合なので、「1.」を実現するのはなかなか難しい。


また、節電と電力不足の関係には下記の4つのケースがありえる。

パターン1.みんなが節電しなくて、電力不足が起こらなかった。
パターン2.みんなが節電しなくて、電力不足が起こった。
パターン3.みんなが節電して、電力不足が起こらなかった。
パターン4.みんなが節電して、電力不足が起こった。

「1.」が起こった場合は、「電力不足はウソだった」ということで、行政と電力会社は批判されることになるだろうが、4つのケースの中では最も良い結果だろう。

「2.」が起こった場合は、「節電が足りなかった」のは明白で、全体として節電に取り組むことになるだろう。

「3.」が起こった場合は、一見すると良い結果だが、「1.」と同様に「電力不足はウソだった」となるだろう。むしろ節電努力という要因が含まれることで、「1.」よりもややこしい事態と言える。つまり「節電が十分だったのか」「電力が十分だったのか」が判然としないので、水掛け論になるだろう。

「4.」が起こった場合は、やはり「節電が足りない派」と「電力が足りない派」に分かれて水掛け論が起こる上、どうやって電力不足を解消するかという問題が残ることになる。


これら4つのケースをどう評価するかは難しいが、節電した場合は、電力不足が起ころうが起こるまいが、問題を抱えることになりそうである。