「メルトダウン」から考える認知言語学

ここ数日、「メルトダウン」が話題になっている。
なんというか、意味不明すぎて、事態を把握するのにしばらく時間がかかった。

しかも、これはどうも「事態」の問題ではないようである。
「認知」の問題のようだ。
つまり、「メルトダウン」をなんだと思ってるのか?である。

メルトダウン」という事態の一連の流れとしては下記のようである。


1.圧力容器の中の燃料が溶ける
2.溶けた燃料が圧力容器の底に落ちる
3.落ちた燃料が溜まって、圧力容器の底に穴が開く。
4.圧力容器の穴から出た燃料が、格納容器に落ちて底に溜まって穴が開く。
5.格納容器の穴から出た燃料が、地面に落ちて地面に穴が開く。
6.燃料が地中深くまで落ちて、地下水とかマントルとかにぶつかってなんか大変なことになる。
(間違っていたらご指摘ください)


これまで、この1から6までの全てが「メルトダウン」と呼ばれていたわけである。
1や2は、既に起こっていると指摘していた人も多い。
そして今回、東京電力が3を認めたわけだ。
しかし、4かどうかは分からない。


以上のような状況から、下記のような意見が乱立した。

  1. 地震直後からメルトダウン(=1や2)していたのは明らかなのに、今更、何を言っているのか(専門家)
  2. 政府や東京電力メルトダウン(=4)を否定していたが、実際はメルトダウン(=3)していた!隠蔽だ!(政府や東京電力が嫌いな人)
  3. メルトダウン(=3)が起きたので発表があった。今まで発表がなかったので、今まではメルトダウンしていなかった。つまり、メルトダウンは最近起こった(善良な騙されやすい人)
  4. いや、まだメルトダウン(=4)は確認できていない(東京電力
  5. メルトダウン(=6)が起きた!みんな、日本から離れろ!(不安を煽るのが好きな人)


共通の「事実」なのに「認知」によって、これほどメルトダウンの意味が異なっているのである。
しかし、これはそれほど不思議なことではない。

認知言語学というのがある。
例えば、ホームランを数えるとき、1打というか、1発というか、1本というか、といった問題を扱う。

1打というとき、それは「バットがボールに当たること」を数えている。
1発というとき、それは「打撃の威力」を数えている。
1本というとき、それは「客席までボールが飛んでいく軌道」を数えている。


しかしながら、このどれもが「ホームランの本質」を捉えていない。
ホームランであるためには「ボールが客席に入ること」「打者がベースを回って本塁に戻ってくること」そして「自分のチームに点数が加算されること」が必要である。


しかし人間は「ボールが、打者が振ったバットに当たって遠くまで飛んでいく」という「劇的」に認知されやすい部分を言語化してしまう。
今回のメルトダウン騒動も、専門家以外は「劇的」なことに認知を支配されたわけである。