Amazon電子書籍の騒動と、芸術について

Amazonと出版社の電子書籍についての契約内容が話題だ。

「こんなの論外だ!」アマゾンの契約書に激怒する出版社員 国内130社に電子書籍化を迫る
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/5977004/

Amazon「全書籍を電子化しろ。売上の半分以上を渡せ。紙書籍より安く売れ」 出版社大激怒
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1673159.html

読者のためにも著者のためにもならないムダな抵抗はよせ—Resisting Amazon is a death knell for publishers
http://oharakay.com/archives/2861?fb_ref=.Tq0GLo_MbU1.like&fb_source=profile_oneline

電子出版を巡る出版社の立場(お金編)
http://anond.hatelabo.jp/20111029232710

お金の話が話題になっているが、売上の収益配分は交渉すれば良い話で、どうでも良いと思う。
ただ、権利関係については、難航するのではないか。

それはともかく、違和感があるのは「Amazonは消費者の味方だから正しい」的な論調だ。
その前提として「出版社は今まで儲け過ぎた」という意見がある。
まぁ、一部の出版社(というかエンタメ業界)が高給だったというのはそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
これについて特に意見はない。

けれど、この「Amazonは消費者の味方だから正しい」という論調には、もう一つ重要な前提がある。
それは、「Amazonが売っている本を買うのは消費だ」という前提だ。
ここで、ひとつの疑問にぶつかる。

「本は消費されるものなのか?」
つまり「安くてたくさん売れることが、無条件に良いことなのか?」。

ノウハウ本に代表される「自分の経験、知識、知恵をより広めよう」という方にとっては、自著が売れれば売れるほど良いだろう。
また、小説家だって「自分の本が多くの人に行き渡ることが幸せだ」という人が少なからずいると思う。

しかし一方で、そうでない人だっているはずだ。

例えばミケランジェロは、より多くの人に見てもらうために彫刻や絵画を制作したのだろうか。
自分の作品が写ったポストカードがたくさん売れることが、ミケランジェロの幸せだろうか。

いわゆる芸術家は、何かを追求しようとし、その果実として作品が生まれる。
「その果実を、どのような形で生み出し、存在させるか」というのは、他人が口出しできることではない。

Amazonには、この観点が抜け落ちている。
とにかくなんでも「安いほうが良い」「電子化が良い」「ペーパレスが良い」というのは、経済的には正しくても、人文的には大きく間違っている。

そして本は、人間が生み出したものの中で、最も人文的な存在なのだ。