なぜ小説の映像化は常に期待を裏切るのか
小説の映像化のラッシュが続いている。
どうしても本を売りたい出版社とネタ切れの映像会社との需要と供給が一致しているのだろう。
それでも「やっぱり原作のほうが良かった」というものは多い。
これはなぜだろうか。
これについては、『告白』が映像化された湊かなえさんが、的確な指摘をしていた。
記憶を頼りに書くが、以下のような意味のことをおっしゃっていた。
映画の『告白』は、私(湊さん)が思っていた『告白』よりも怖かった。
でも、読者によっては、小説の『告白』のほうが怖かったかもしれない。
これは人によると思う。
小説を読むときは、自分の想像の範囲でしか物語を生み出せないから。
その人がどういう『告白』を自分の中で生み出したかによって、映画の『告白』の感じ方が変わってくる。
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つまり、小説を読むというのは、自分の中に、自分だけの物語を生み出すということだ。
その物語は、自分で生み出すがゆえに「自分に最適化」されている。
それゆえに、小説を読んで自分の中に生み出された「自分にとって最適解である主人公」と、「映像化された最大公約数的な主人公」では、勝負にならないのだ。
一方で、小説は自分の中で物語が生み出されるため「想像を絶するような物語」は決して生まれない。
「自分の想像力の及ぶ範囲」でしか、小説は読めない。
しかしながら、映像化された作品は、他者が想像し、創造したものだ。
だから、映像化作品を見て「原作より面白かった」と思ったとしたら、それは、同じ小説を読んで、「自分より面白い物語を想像した人がいた」ということである。