「文字が書かれた紙をデジタルデータにする行為」は、「複製」ではなく「制作」ではないのか?

 
スキャン代行業者が問題になっている。
今日、有名作家ら7人が、スキャン業者2社を訴えたらしい。

弘兼憲史さんら「自炊」代行業者を提訴へ
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111219-OYT1T01337.htm

書籍スキャン代行業者を提訴=著名作家7人が差し止め請求―東京地裁
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201112200118.html

はっきり言って、この訴訟の理屈にはムリがある。

例えば浅田次郎氏は、
「作品は血を分けた子供と同然で、見ず知らずの人に利用され、知らないところで利益が出るのは許せない。裁断された本は正視に耐えない」
と言ったらしいが、裁断を希望しているのは読者であって、スキャン代行業者は別に裁断したくてしているわけではない。

また、東野圭吾氏は、
「『電子書籍を出さないからスキャンするんだ』という業者にはこう言いたい。『売ってないから盗むんだ』、こんな言い分は通らない」
と言っているらしいが、これもスキャンしたいのは業者ではなくて読者だ。
しかも、買った本をスキャンしているので「盗む」というのは全然違うし、電子書籍を出す出さないも関係ない。
電子書籍があろうがなかろうが、問題は「既に購入した大量のスペースを占める紙の本」を「デジタル化してスリム化したい」というニーズだ。

また作家側は、
「電子データがインターネット上に出回るなどして著作権を侵害される可能性が高いと主張している」
らしいが、これもスキャン代行とは何の関係もない。

作家側は、「オレの本を裁断するな、電子化するな、ネットにも載せるな」と言っているだけであり、スキャン代行の論点とは何の関係もない。
この主張を貫きたければ、読者を訴えるしかないだろう。
(スキャン代行の論点は「私的複製をしたい人から頼まれたときに代わりにやっても良いのか」だけだ)


ところで、もっと根本的な疑問がある。
それは、著作権上認められているという「私的複製」についてだ。

私的複製は著作権上OKなので、自分でスキャンする「自炊」は合法だ。
ここに疑問の余地は無い。

ただ、良く考えてみよう。

例えばコピー機を使って、1枚の「文字が書かれた紙」から、もう1つの「文字が書かれた紙」を作るのは、「複製」だ。

けれど、「文字が書かれた紙」を使って、「文字のデジタルデータ」を作るのは、これは「複製」だろうか?
一見、同じようだが、生成されたものがぜんぜん違うのではないか。
元は紙だし、インクだ。
生成されたのは、デジタル情報であり、光だ。

つまり、こういった行為を「複製」という概念に当てはめるのはおかしいのではないか。
これは、複製ではなく、「加工」または「制作」ではないのか。

例えば、「小説」を「映画化」するような「制作」。
あるいは、「対談」を「書籍化」するような「制作」。

いわゆる「自炊」が、これらの「制作」と同様であると考えれば、著作権者はその制作を拒否できるし、勝手に制作した相手を訴えることも可能だろう。
つまり、私的利用を目的とした「私的複製」という合法行為すら、成り立たなくなる。

インターネットでは、こういった観点の意見は見つからなかったけれど、著者側の意見を通用させようとするならば、このような捉え方が必要だろうと思う。