利他の経済学は可能か
経済学における「人」は、「合理的な経済人」だ。
需要が増えたら供給を増やし、供給が需要を越えたら価格を下げ、価格が下がったら需要が増える。
あるいは、株価が適正な価格より上がれば買う人が減って株価が下がり、株価が適正な価格より下がれば買う人が増えて株価が上がる。
このように、「合理的な経済人」によって形成される市場は、常に正しい。
しかしながら、行動経済学によって、「合理的な経済人」というのは否定された。
「人」は、合理性よりも心理や認知によって行動をとることが明らかになった。
文学的に表現すれば、行動経済学は「より人間らしい経済学」と言ってもよいかもしれない。
それでも、経済学は、未だに利他の精神を無視している。
経済学における「合理的な経済人」にせよ、行動経済学における「不合理な人間」にせよ、あくまで自分のために行動する。
あるいは、評判経済といったフリー経済ですら、やはり自分のための行動による結果である。
一方で、人は利他的な行動をとることがある。
であれば、経済学は、利他的行動についても経済的な予測を目指しても良いはずだ。
例えば、災害によって集まる義援金を予測する。
あるいは、災害によって集まるボランティア人数を予測する。
こういった予測は、被災地の救援活動の円滑化のためには必要な予測だろう。