本格ミステリに再び春は来るか

ミステリー小説が人気だ。

東野圭吾伊坂幸太郎海堂尊東川篤哉道尾秀介
彼らの作品は多くが映像化され、幅広い読者層を獲得している。

しかし一方で、これまでのミステリー小説の人気を牽引してきた「本格ミステリ」は冬の時代が続いている。
島田荘司氏の『占星術殺人事件』が1981年、綾辻行人氏の『十角館の殺人』が1987年、京極夏彦氏の『姑獲鳥の夏』が1994年、森博嗣氏の『すべてがFになる』が1996年。
しかしそれ以降、「本格ミステリの失われた15年」が続いていると言っても過言ではないかもしれない。

なぜ、本格ミステリは廃れていったのだろうか。
以下で考察をしてみたい。


西尾維新氏が講談社に引き起こしたパラダイムシフト

まず注目すべきは、島田氏から森氏までの人気作家をデビューさせ育てたのは全て講談社であるという点だ。
森博嗣氏を引き継ぐ本格ミステリ作家が、講談社から生まれていれば、本格ミステリの状況は今とは違っていたかもしれない。

しかし、森氏の後、2002年に講談社から衝撃的なデビューを果たしたのは西尾維新氏であり、彼は良い意味でミステリーというジャンルを破壊した。
ミステリーの体裁をとりながら、新しい言語感覚、奇抜なキャラクター、特徴的なイラスト、能力バトルなどのライトノベル的な要素がふんだんに盛り込まれたのである。
デビュー作『クビキリサイクル』はミステリー色が比較的強かったものの、以降、西尾氏は独特の路線を歩み始め、『戯言シリーズ』『化物語シリーズ』など次々とヒットを連発した。
また、2004年には奈須きのこ氏が講談社から『空の境界』を出版し、大ヒットとなる。

西尾氏と奈須氏の快進撃は、講談社パラダイムシフトを引き起こした。
講談社BOXというライトノベル系レーベルや、ライトノベル志向の子会社として星海社を設立し、成功を収めている。
その一方で、西尾氏以降、講談社からは本格ミステリにおける人気作家を輩出することができなくなっており、森氏、西尾氏を輩出したミステリー雑誌『メフィスト』の刊行も停止されることになった。


テクノロジーの進化

本格ミステリの衰退には社会的な要因も挙げられるだろう。
本格ミステリは密室殺人のような「不可能犯罪」を名探偵が自らの頭脳で解き明かす、知能ゲーム的な要素を含んでいる。
しかし、インターネットや携帯電話に代表される新しい技術が普及するにつれ、「不可能状況」が生み出しにくくなる一方で、探偵が自らの頭脳だけで謎を解くという物語にムリが生じてきた。

例えば、「山荘で嵐になり道路は土砂崩れ、電話線も切断された陸の孤島」というようなシチュエーションは本格ミステリの典型だが、携帯電話があれば外部に連絡は可能だ。
また、探偵が天才的な頭脳を持っていなくても、インターネットを利用して問題解決を図ることは可能だろう。
こういった社会的な変化が、「本格ミステリ的な物語」を生み出しにくくなっていると言えるだろう。

実際に、京極夏彦氏の『姑獲鳥の夏』や、森博嗣氏のVシリーズは昭和時代に舞台設定されている。
これは、上記のようなテクノロジーが存在しない時代に設定するとで、本格ミステリ的な物語を生み出す土壌を確保しているとも言える。


メディアミックス現象

さらに挙げられる要因は、2000年代から出版業界で広がったメディアミックスである。
つまり、映像化の流行だ。
これは、伊坂幸太郎氏や東野圭吾氏のようなドラマティックなミステリー作品とは非常に相性が良い。

一方で、本格ミステリは映像化に不向きである。
例えば、「主人公を2人と思わせておいて実は1人だった」というような小説ならではの手法の作品は、映像化することができない。
しかし、こういった読者へのミスリーディングによる仕掛けが、本格ミステリにとっては不可欠である。
出版社にとって、映像化できない本格ミステリ作品は商業的な魅力が薄くなっており、これは本格ミステリの衰退と無関係ではないだろう。


マンガ・ドラマへ一時的に引き継がれた本格ミステリ

一方、本格ミステリを思わせる知的ゲーム要素を含んだマンガやドラマが、2005年以降ヒットした。
マンガで言えば『デスノート』『ブラッディ・マンデー』『ライアー・ゲーム』であり、ドラマであれば『24』プリズン・ブレイク』などである。
森博嗣氏以降、これらの作品群が本格ミステリ的な知的ゲームに対する需要を満たしてきたと考えることは可能だ。
しかし、これらの作品群も現在は完結しており、2010年代に入ってからは、これらの類似ジャンルで新しい作品も登場していない。


本格ミステリに再び春は来るか

以上のように、現在では本格ミステリ的な、知的ゲーム性のある物語はエンターテインメント界から失われつつある。
しかしこれは裏を返せば、需要の受け皿が必要とされているということでもあるだろう。
今は、「本格ミステリ氷河期」であり、「本格ミステリ難民」が少なからず存在しているのではないか。

本格ミステリの春がやってくることを期待したい。