「…という可能性はあるんでしょうか?」は放送禁止用語にしたらどうですか

上記のつぶやきが反響にあった。
(誤字があるけど)

今日も、テレビのアナウンサーが「東京電力が情報を隠蔽していたという可能性はあるんでしょうか?」という質問をしていた。
実際のところ、こういう質問に対して「そんな可能性はない」と断言できることなんて有り得ない。

よって答えは常に「イエス」である。
メディアの場合は、単に相手に「イエス」と言わせたいだけの質問なのだ。
そして、それを根拠に、叩くネタにしたい。
つまり、「…という可能性はあるんでしょうか?」という質問は、モグラ叩きゲームに入れる100円みたいなものだ。
実際、100円くらいの価値しかない質問である。

しかも驚くべきことに、「可能性はゼロではない」という限りなく控えめな回答に対してすら、
「ほとんど有り得ないのに、可能性があると言って誤解を招いた」ということで(実際に可能性があるにも関わらず)責任を追求される世の中らしい。
ところが、「絶対ありません」と言うと、「ウソだったんだぜ」と叩かれるのだ。
叩き放題のスーパーモグラ叩きゲームである。

この状況を打破するためには、「…という可能性はあるんでしょうか?」という質問を禁止するしかないのではないか。
もしくは、アナウンサーに対して、こう切り返すのだ。

「あなたはどう思いますか?」