宿題が出たらすぐやれ!

宿題は、わりと不思議な存在だ。

学校でちゃんと真面目に勉強したのに、なぜ、家でも勉強しろと言われるのか。
家にいる時間は自分の時間ではないのか。
お父さんは、家に帰ってきたらビールを飲んで野球を見ているだけじゃないか。
そう思っている学生も少なくないだろう。

なぜ宿題が存在するかについては後述したい。

とにもかくにも、宿題というのがあり、宿題には例外なく期限がある。
そして、どうも一般的に、人は宿題を期限ギリギリまでやらないようである。

一方、僕は反対だった。
つまり、宿題が出されたら「すぐ」やっていた。
「すぐ」というのは、遅くともその日のうちとかである。
1日で出来なくても、できるだけ早く終わらせる。
可能なときは、その授業の後の休憩時間にやる。
もっと極端なときは、「これ宿題ね」と言われた瞬間に授業中にやっていた。

これは、今思えば、非常にメリットが大きい。

第1に、宿題というのはその日に習ったことに関係していることが多い。
その日に習ったことなんて、何日も経ってからでは忘れてしまう。
一方、授業で習った直後にやれば、まだ覚えているから簡単である。
別に、宿題を出す日にその内容を忘れていたって問題ないのだ。

第2に、宿題はどんどん出る。
小学校までは、担任の先生がほとんどの教科を教えるので、先生自身で宿題の量を調整してくれる。
しかし、中学校からは、各科目で先生が別々になり、それぞれが宿題を出してくる。
期限がまだあるからと言って油断していると、ときに凶悪な量の宿題が重なるときがある。
一方、常に「宿題を終わらせていて手元にない」状態にしておけば、そういった事態は起こらない。

第3に、宿題をやる前とやった後では、自分の能力に差がある。
宿題は、能力を上げるためにやっていると言っても過言ではない。
早く宿題をすれば、それだけ早く能力が上がっていることになる。
例えば、以前よりも漢字を多く知っている。
あるいは、以前はできなかった計算ができる。
極端な表現をすれば、宿題をする以前とは、世界を見る目が変わっているのである。
その変化は、早ければ早いほど良い。

ところで、なぜ宿題なんてものが存在するのだろうか。

個人的には、宿題は社会人になるための「慣らし」だと思う。
社会人になると、学生のときとは比べ物にならないほどの宿題のオンパレードである。
ただし社会人の宿題は、売上目標や、営業ノルマや、資料作成といった形態をとっている。

一方、学校の授業は仕事でいう「研修」のようなものだ。
どうやれば良いかを研修で解説した後、「よし、これをやってこい」というのが、宿題である。

研修なんて、社会人になると受けることはほとんどない。
つまり、お父さんは会社でひたすら宿題をしているのだ。
ほら、だんだん可哀相になってきたでしょう?
家でビールを飲みながら野球ばかり見ていても許してあげよう。

何にせよ、期限がある仕事は、学校の宿題のようなものである。
宿題以外の仕事はその先にある。

期限がある仕事は早く終わらせて、その先の無限の世界に飛び込むのが良い。