情報社会と「賢くなれない消費者」について
「消費者が賢くなっている」というような話は良く聞く。
「賢く買い物をしよう」なんて言い方もする。
「賢い消費者」とは何だろうか。
例えば、シャンプーを買う。
最初はどれが良いかわからないから、適当に買う。
使ってみたら、「良かった」とか「悪かった」とか思うだろう。
「悪かった」と思ったとしても、お金を払って買ったので、使い続けることになる。
シャンプーは消耗品なので、使っていると無くなる。
それで、また新しいシャンプーを買う。
前回と同じシャンプーを買うかもしれないし、違うシャンプーを買うかもしれない。
「前回のシャンプーは悪かった」と思ったのであれば、きっと違うシャンプーを買うだろう。
このように繰り返すと、購入者は消費の経験が増える。
最終的には「良いもの」に当たり、「良いもの」が買えるようになる。
これが、「賢くなった」ということだろう。
つまり、「賢い消費」とは購入経験の蓄積と同義だ。
これまでは「購入経験の蓄積」は個人で完結していたが、情報社会では、それがシェアされる。
つまり、誰でも「良いもの」が最初から買える。
「消費者が賢くなった」というのは、こういう構造だろう。
このような「賢い消費者」によるマーケットでは、「売れるモノ=良いモノ」である。
勘やノリで買っているのではなく、蓄積された経験・知識(それが他人がネットに書いた情報だとしても)を元に購入しているからだ。
なので、販売側は「売れるモノ」を中心に品揃えすれば、自動的に「良い品揃え」になる。
一方、「売れるモノ=良いモノ」とは限らないマーケットもある。
代表的なのが本だろう。
例えば、ある本が1年間で1番売れたからといって、それが1年間に出版された本の中で最も「良い本」とは限らない。
これはネット時代も変わらない。
なぜ、このようなことが起こるのか?
理由は、本が消耗品ではないことにある。
気に入ったシャンプーを何度も買うことはあっても、気に入った本を何度も買うということはあり得ない(同じ著者の本を買いあさることはあるが)。
「その本を買う」という行為は、常に1度限りの経験であり、蓄積できないのだ。
このような「購入体験を蓄積できない商品」では、経験のシェアも上手くいかない。
「売れている本」と「評価が高い本」が別になってしまう。
その結果、「売れている本だけを安易に品揃えした書店=良い書店」とはいえなくなってくる。
このような「体験の蓄積」ができないものには、「就職(特に一度しかない新卒採用)」がある。
ネット上には就職活動の体験がいくらでも見つかり、それらは簡単にシェアされる。
しかし、それらの就職活動の体験情報は、何度も繰り返して蓄積された「賢い就職活動」ではない。
むしろ、「もう二度と買いたくないシャンプー」を買ってしまったような、失敗体験かもしれない。
そして、売れる本だけを安易に品揃えした本屋が良い本屋ではないのと同様に、成功した就職活動を安易に真似た就職活動が「良い就職活動」となることは、ほとんど無いだろう。